ヤンキーの魅力とは?「ろくでなしBLUES」ドラマ化

星期二, 8月 09, 2011
EXILEのKENCHI(左)とMATSU=伊藤圭撮影

大人気の不良マンガ、森田まさのりの「ろくでなしBLUES」が初めてドラマ化され、日本テレビで水曜深夜に放送中だ。現実の世界で不良が市民権を得ることは少ないのに、人はなぜ「ヤンキー」にひかれるのか。作品の大ファンで、ドラマにも出演している人気グループEXILEのMATSUとKENCHIがその魅力を語る。

 ――ろくでなしBLUESの魅力って何でしょう。

 MATSU 仲間を大事にする、大切な人を守る。ウソをつかないとか、実は良いメッセージが込められていることだと思う。シンプルだけど大切なことを恥ずかしくもなくやってのけるのがカッコイイ。
EXILEのMATSU

 KENCHI 原作で主人公・前田太尊(たいそん)にはライバルがたくさんいる。でも、拳で語り合った後は分かり合い、昨日の敵は今日の友になり集まってくる。男ながら、ほれますね。

 ――高校時代は不良だったんですか。

 K 僕は不良じゃなくて、ただ男友達とずっとつるんでるタイプ。理系で男ばっかりのクラスがめっちゃ居心地よかった。
EXILEのKENCHI

 M 僕も全然普通で、むしろ不良に憧れた方です。ただ、あんなに日常茶飯事にケンカはしたくないなと。

 ――そう、現実にはあんなことしたくないのになぜ、不良の世界にひかれるんでしょう。

 K パッと見は怖いとか、世間からはみ出してる印象を持たれますよね。僕自身、「あそこの子はろくに就職もしないで踊りみたいなことばっかやって、夜な夜なクラブに出入りして……」って見られてた。でも不良って実は結構ものを考えていたり、悩みを抱えていたりする。それを知ると、こんなに人間味があるんだと思える。

 M 見た目の悪い人がいいこと言うと、より刺さるよね。不良マンガを読みながら、「意外といいこと言うなコイツ」ってのは少年心にして感じてました。うちのメンバーのATSUSHIも、サングラス姿で一見、怖い。それで「ボクは愛を唱えるために、みんなに伝えるために生まれてきた」なんて言うのを聞くと、一瞬「は?」と思うかもしんないですけど、でもあんなにピュアな人はいない。人は見た目とのギャップに弱いんだなと自分も含めて思いますね。

 ――ずばりヤンキーとは?

 M 日本の大和魂を継承してると思うんですよ。要は現代のサムライなのかなという感じを受けますね。敵に向かって「出て来いやぁ!」なんて、男の中の男じゃないですか。僕らが忘れがちなそんな魂を思い出させてくれる、現代のおサムライなのかなと思いますね。
EXILEのKENCHI(左)とMATSU

■等身大の物語から人気は「軍記物」へ

 「ろくでなしBLUES」は1988~97年、「週刊少年ジャンプ」に連載された。80年代から90年代にかけては「湘南爆走族」「ビー・バップ・ハイスクール」「カメレオン」「特攻(ぶっこみ)の拓」などヤンキーマンガが花盛りだった。現状はどうか。ライターの森田真功さんに聞いた。
    ◇
 80年代以前の不良マンガの主人公は、本宮ひろ志の作品に代表されるように学校にとどまらず、国家レベルの腐敗を正すような存在だった。それが80年代に入り、社会に出る前の「モラトリアム」の学園生活における、等身大の青春物語として共感を得ていく。

 でもモラトリアムを満喫したヤンキーが社会に出たら、どうなるのか。90年代後半にそんな問いが浮上した。例えば「莫逆(ばくぎゃく)家族(ふぁみーりあ)」は30代となった元不良たちが再び集い、彼らの正義のために戦う。でもそこでは成熟しきれず、空しさを埋められない将来が残酷にさらされた。

 そんな姿を突きつけられ、今は社会と切り離された作品が目立つ。「WORST」「ギャングキング」など、キャラが立った登場人物たちがグループを率い、その間の抗争をもっぱら描く「軍記物」が人気だ。マンガでないが、AKB48がヤンキーを演じたドラマ「マジすか学園2」はその典型だった。ラストは警察に包囲された校舎内で敵校と決戦。窓ガラス1枚割れず、社会とつながる回路は完全に排除されていた。(田玉恵美、宮本茂頼)

情報來源:
朝日新聞

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